愛しき者へレクイエム




 あの日以来、ユウは人形になった。
 生きてはいる。
 だが、話しかけても返事は帰ってこないし、夜になっても寝ようとしない。食事も持ってこないと
食わないし、とにかく日常の反応がない。
 ただ窓の外をぼーっと見つめているだけ。

「ユウ、いくら太陽が出てるからってもう冬なんだから、そんな格好じゃ風邪引くさ。こっち来な」
 もちろん返事なんて返ってこない。振り返ってもくれない。分かってて声をかける。
 だって、こんな状態のコイツになんて誰も話しかけないだろうから。俺が話しかけないと、この世
につなぎ止めておけなそうだから。
 一日に何度もユウの部屋に行っては、散々返答のない質問を繰り返し、食事を与え、身支度を調え
させ、寝かしつけ…
 アイツの憎まれ口を聞かなくなってからどれくらい経ったのかと思うほど、時間は流れ、もうユウ
がどんな声でしゃべっていたのかさえ思い出せない。断片的に俺の名を呼ぶ声が思い出せる程度。
 機嫌が悪いとか、そんなんじゃない。まるでユウじゃないみたい。

「食事持ってきたさ。今日もお前の好きな天ぷら蕎麦」
 無反応。心ここにあらず。瞳は窓の外の景色なんか写しちゃいない。もっと、その先にある何か。
「はい、よいしょ」
 オレはユウをテーブルの前に座らせてメシを食わせる。蕎麦ってなんでこう、食わせ辛い構造して
るかな〜もういい加減慣れたけど。
 それよりも大変なのは、なかなかユウが食べ物を口にしようとしてくれないことだ。腹が減ってな
い訳じゃないのに、口を開けさせるまでに時間がかかる。まるでそれは食べることを拒むようだ。
 それでも、ものは食うし、息はしてるし、体温はある。立たせて誘導すれば歩くし、時には自分で
どこかに動くことだってある。だから確実に生きているはずなのに、そのうつろな目は、なにも見て
いない。
 一体何を考えているのか。いや、もしかしたら何も考えていないんじゃないか。ひたすら外を見て、
アイツが帰ってくるのを待っている。もしくは、自分がアイツの元に行くことを待っている。

「ユウ」
 いつまでこんなことが続くのか。
「ユウ」
 オレはいつまで呼びかけ続ければいいのか。
「ユウ」
 アイツは言った、「ごめんなさい、ラビ」と。
「ユウ」
 それは一体何に対する謝罪だったのか。
「ユウ」
 オレの目の前にいるのはユウの形をした、ただの人形だ。





「なぁ、ユウお願いだよ。返事してくれよ。オレ、アイツに会わせる顔ないじゃんか…」
 ついにオレが耐えられなくなった。
 窓縁に頬杖をついて座っているユウの背に頭を押しつけ、懇願した。
 目から溢れ出るものを押さえられない。今まで押さえてきたはずなのに…

「ユウ、なんか返事しろよ…聞こえてんだろ」

 オレらしくない。泣いて、泣いて、ひたすら願った。
 時は静寂の中、オレのすすり泣く音だけを響かせて流れた。
 急にオレの頭に温かいものが乗せられる。
 顔を上げたオレが見たものは、無表情のユウがオレを慰めているところだった。

「ユウ…」

 無言のままオレの頭をなでるユウ。視線は明らかにオレを捉えてはいない。それがあまりに痛々し
くて、オレはユウを抱きしめずにはいられなかった。
 しばらく胸に頭を押しつけられたまま、ユウは動こうとしない。

「ラビ…」

 どれぐらいぶりだろう、オレがコイツの声を聞いたのは。驚いてユウの顔を見ると、うつろな目は
ひたすら前だけ見ていた。
「…アイツはどこに行ったんだろうな。いつになったら帰ってくるんだろうな…今回の任務はそんな
に時間のかかるものなのか?」
 唖然。
 言葉が出てこなかった。ユウはこの半年間何を考えていたと言うんだ?その瞳は本当に何も見てい
なかったというのか?
 以前よりか細くなり凄みの抜けた声は、かつてのコイツからは連想できない声。そして、連想でき
ない言葉。
 救わなければ。

「アイツは…ちょっとやっかいな任務に行ってるだけさ。きっとすぐ帰ってくる」

 それはオレの言葉。どうしてそんな嘘を言ったのかと聞かれても分からない。
「連絡も時々だけど入ってるしな」
 覚えているのは、ユウの見開いた目に再び光が灯ったこと。
 ユウが今元に戻る最短最善の方法だと思った。これしか方法はない。
「…連絡…」
 オレは涙を拭いてニコニコした。
 ユウはそのまま黙って視線を再び窓の外に移す。違うのは、何かを考え込んでいるように見えたこ
と。空っぽの心じゃなくなったこと。

 緩んだネジを回せた気がした。





 ユウはだんだんと元気になっていった。
 次の日から徐々に自分で物事をこなすようになったし、一週間後には食堂に顔を出すようにまでな
った。さすがにみんなビビってたけど…
 コイツに「元気」なんて言葉は似合わないが、とにかく以前より遥かにマシ。声をかければ怒って
返すし、簡単にオレに触らせてくれなくなった。あんなに世話やいてやったのにこれかよ…
 まぁ、いつものユウに戻りつつあるのは良い傾向だし、教団にとっても戦力の復活はありがたいこ
とだと思う。コイツのせいでオレもまともに任務に行けてなかったからな。
 なんにせよ、3ヶ月後にはすっかり元に戻ってたわけだ。ただ一つ、やたらとアイツのことを気に
する以外は…

 ある任務でリナリーと一緒になった時に言われた言葉がある。
「神田、元気になったわよね。だって、今一人で教団でお留守番でしょ〜前は私とラビで通い詰めだ
ったもの」
「ホントに良かったさ〜あのままじゃいつかオレらが体壊しかねなかったもんな」
 リナリーはユウの世話を手伝ってくれた。オレが任務でいないときは世話を代わってくれたし、時
々やってきては、オレには気付かないことに気付いて潔癖性の「お姫様」のために働いてくれた。

「…でも…神田は真実を見てないだけよね…」

 リナリーにはすべて話してある。もちろんコムイにも。

「…見なければ幸せな現実もあるんさ」

 オレ達は視線を合わせようとしなかった。これはオレ達の共同戦線。暗黙の了解。





「ただいまユウ!淋しかった〜?」
 帰るなり廊下を歩いていたユウを見つけ、オレは抱きついた。
「オイ!離れろ、うぜぇ!」
 聞き慣れた罵る声。安心感を覚えるオレは変態だろうか…?
「ただいま、神田。ちゃんとご飯食べてた?また蕎麦ばっかりだったんでしょ〜」
 お母さんのような発言をしたのはリナリー。ユウはいつだってリナリーの言うことには従順だ。
「そんなこと言われなくたって、ちゃんと食った!俺はもう子供じゃねぇ!」
 キレてるけど…
「さて、私は兄さんに報告行ってくるわ」
 去っていくリナリーの後ろ姿を見ながらユウはいつものように舌打ちをする。帰ってきたって感じ。
「どうしたさ、ユウ?」
 声をかけるたび、強い睨みがオレに向けられる。
「なんでもない。ただ、アイツから連絡がないだけだ」
 それは「だけ」とは言いませんよ、ユウさん。
「そのうち来るさ。気長に待つさ」
 この嘘も付き通してしばらく経つ。一向に気付かないのは、ユウがバカだからじゃない(と信じた
い)。
 まだ一瞬、しゅんと影のある目をすることがある。本人は気付いてないだろうが。それが何を意味
するのか、オレは気付きたくなかった。

 ネジを絞めたハズだった。





                2へ続く。